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今年(2013年)は、吉田秀和氏生誕100年

音楽評論家である吉田秀和氏は、1913年9月23年に生まれ、昨年(2012年)の5月22日に亡くなった。もし存命であれば、今年は100歳を迎えていた。氏が担当していたNHK-FMの「名曲の楽しみ」は1971年開始の超長寿番組で、亡くなった後も、残された録音、原稿をもとに昨年一杯放送された。ちなみに1913年は「春の祭典」が初演された歴史的な年であり、ブリテン、ルトスワフスキーも生まれている。

氏は雑誌「レコード芸術」に新譜の批評をよく書いていた。私が社会に出て稼げるようになり、自分の金で好きなだけCDや楽譜を買っていた頃、レコ芸(レコード芸術)をよく立ち読みし、面白いければ、そのまま購入した。氏の解説は大変分かり易く、読んでいるだけで素晴らしい音楽が聴こえてくるような錯覚を覚えたもので、それは1つのマジックと言っても良かった。
氏の名解説のお陰でシノポリのシューマン/交響曲第2番、ラドー・ルプーのシューベルト/即興曲集、内田光子さんのモーツァルト/ソナタ等を聴くことが出来たのだ。シューマンの交響曲第2番の第2楽章スケルツォでは、「ちょっとでも切りつけると、血がバッとほとばしり出るような熱い演奏」と書いていた。
レコ芸の文章が面白かったので、氏の著作も幾つか読んでみた。「世界のピアニスト」、「一枚のレコード」、「 世界の指揮者」等々。この中でよく読んでいるのは「世界のピアニスト」。何しろ吉田氏は1940年代から評論活動を続けているのだ。歴史的なピアニストの演奏を生で聴いたり、直接会って話をしたりしている。

サンソン・フランソワの章では、フランソワが来日時(1956年)の演奏について触れている。フランソワはショパンのバラードの最後の音を派手に間違えたが、観衆からは大喝采を受けたのだとか。照れ臭そうに拍手を浴びているフランソワの様子が目に浮かぶようで大変面白い。
あのミケランジェリとも会っている。対面のとき、ミケランジェリは、黒ずくめのコートとスーツを着ていた。コートを脱ぐと、赤葡萄酒色のタートルネックのセーターが現れ、それが大変印象的だったようだ。更にミケランジェリの手の平は、12度は届きそうな大きさだったらしい。通常ピアニストは10度の音程が出せるよう訓練するが、ミケランジェリにその訓練は必要なかった。

氏の評論が好きなのは、その分かり易さにある。難しい言葉遣いは少なく、読んでいるだけで読者は吉田氏と一緒に名演奏を追体験できる。
「私の好きなピアニスト」では沢山の譜例が載っていることも特徴で、譜例が重要な役割を担っている。吉田氏は、音が出た瞬間に消えていく音楽という芸術に対して、可能な限り具体的な説明を試みた評論家と言って良いのではないか。

吉田氏の業績は音楽評論にとどまらない。「子供の為の音楽教室」を斎藤秀雄氏、井口基成氏らと開設したが、その第一期生には 小澤征爾さん、中村紘子さんらを輩出している。「子供の為の音楽教室」は、後の桐朋学園音楽部門の母体となった。

2013年も残すところあと2ヶ月余り。今年が終わる前に、氏の業績を讃える意味で、この文章を書かせて頂いた。

世界のピアニスト―吉田秀和コレクション (ちくま文庫)