今年(2013年)のちょうど100年前、ストラヴィンスキー「春の祭典」の初演が行われた。
「春の祭典」、いわゆる”ハルサイ”は20世紀に生まれた管弦楽作品の中で、ひときわ高くそびえ立つ、記念碑的な作品である。
この曲の初演が非難と怒号の中で行われたことは、クラシック音楽を聴く人には有名な話だ。
サン=サーンスは冒頭を聴いた段階で「楽器の使い方を知らない者の曲は聞きたくない」といって席を立ったと伝えられる。いかにも保守的な作風のサン=サーンスが語りそうな言葉だ。
サン=サーンスを不快にした楽器とはファゴットのことだ。ファゴットが奏でる冒頭の旋律は、ファゴットにはかなり高い音域だ。ファゴットは音量・音程のコントロールが難しい楽器のようで、特に高音域の旋律は、奏者に大きな緊張感を強いる。その緊張感を伴った響きをストラヴィンスキーは、意図して使ったのだ。この旋律をオーボエやクラリネットが演奏しても、ハルサイの異様さを表現できなかっただろう。ハルサイの革新性は、冒頭から発揮されていたのだ。
このあたりの事情、ファゴットを吹く友人に聞いてみた。彼はアマチュアオケで何十年もファゴットを吹いている。彼に言わせると、ハルサイの冒頭の旋律は確かに難しい。その対策として、高音域が鳴りやすいように調整したリードを用意することも、一つの方法として考えられるとのことだ。その場合、冒頭の旋律が終わったら通常のリードと交換する。ファゴット奏者にとって、ハルサイは厄介な曲のようだ。
私がハルサイを聴いたのは1980年代、友人がレコードからカセットにコピーしてくれたロリン・マゼール指揮の演奏だった。マゼールは多少誇張を含んだ表現で、ハルサイの面白さを充分に引き出していた。私にとってハルサイとは、マゼールの演奏するハルサイが原点となっている。
20世紀を代表する現代曲だったハルサイも気がつけば100歳の誕生日を迎えた。最初に聴いた頃は、ハルサイは新時代の現代曲というイメージが有ったが、気がつくと100年前の曲になってしまっていた。つくづく時間が経ったんだなという感慨に襲われる。
しかし、ハルサイは凄まじい曲との思いは今でも変わらない。同時代の他の作曲家の作品と比べても異色であるばかりでなく、ストラヴィンスキーの作品の中でも、特異であると思う。
ハルサイは「兵士の物語り」、「詩編交響曲」、「イタリア組曲」のどの曲とも似ていない。他のバレー曲「ペトリューシカ」、「火の鳥」と比べても、共通点を探ることは難しい。
「春の祭典」とは音楽の神様が、人類の為に、20世紀を切り開く音楽としてを、ストラヴィンスキーを介してこの世に降ろしたくれた作品ではないだろうか。
この文章を書いている最中に、素晴らしいニュースを知った。
私にハルサイの素晴らしさを教えてくれたマゼールが、日本でハルサイを演奏したというのだ。私はマゼールが最近どうしているのか知る機会が無かった。何となくもう指揮者を止めているのではないかと漠然と思っていた。しかしそうではなかったのだ。マゼールさんは、80歳の年齢にしていまだにハルサイを演奏していたのだ!!!!
率いるオーケストラは、ミュンヘン・フィル。あのチェリビダッケが晩年に沢山の録音を残したオーケストラだ。
http://mashi1978.blog97.fc2.com/blog-entry-183.html
このリンクの記事を見ると素晴らしい演奏だったようで、感無量としか言い様が無い。マゼールと同じ80歳の三浦雄一郎さんも、エヴェレストに登頂したというニュースが入ったばかりだ。(5/23)。
エネルギー溢れる二人の80歳に心から敬意を表したい。
私がこの曲に思い入れがあるのは、この曲のアナリーゼのレッスンを受けたことがあるからで、スコアも持っている。
私がこの曲の中で特に好きなのは、”Spring Rounds”(春のロンド)の部分。聴いていると脳味噌が爆発しそうな感覚になる。音楽の神様は、こんな素敵な曲を地上に降ろしてくれたものだと心から感謝したい。