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ギターとフォリア

ギターには”フォリアの主題による~~”というタイトルの曲が多い。”フォリア”という言葉をwikiで調べると以下の情報が出てきた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AA%E3%82%A2

これによれば「フォリア」とはスペイン、ポルトガルを起源とするパターン化された低音進行を持つ舞曲のことを指すのだそうだ。なるほど、シャコンヌと同じ様なものだな。このサイトにも書かれているがコレッリ作曲の「ラ・フォリア」が余りにも有名になった為、「フォリア」とはコレッリ作のメロディーを指すものと思っていたがそうではなかったんだね。

このサイトを見ると「アリアと変奏」でギタリストにお馴染みのフレスコバルディもフォリア形式の作品を書いている。どんな曲なのかちょっと見てみたい気がする。

ギターに目を向けてみると以下の作曲家が「フォリア」形式の作品を書いている。

ソル/スペインのフォリアによる変奏曲とメヌエット
ジュリアーニ/スペインのフォリアによる主題と変奏
ポンセ/スペインのフォリアの主題による20の変奏曲とフーガ
デュモン/フォリアによる変奏曲

上に挙げた以外にも多くの作曲家がフォリアを書いていることだろう。すべての楽器でフォリア形式の作品を探せばかなり見つかるのではないか。

ここで「デュモン」という名前を見て「え、誰それ?」と思われる方がいるだろう。
デュモンとは現代フランスのギタリスト、作曲家でパリ国際ギターコンクールの入賞者でもある。合唱の為の作品もあるようだ。

彼の代表作なギター作品は「ラヴェル讃歌」だろう。高速アルペジオの上に綺麗なメロディーがのった味わいのある小品である。どちらかと言えばギターよりもピアノに向いていそうだ。どことなくラヴェルの「水の戯れ」を思い起こさせる部分がある。

さてデュモンさんの「フォリアによる変奏曲」は、大変魅力的な作品なのだが、最大の難点が一つある。それは曲の終わり方が余りにもサビシ~ということだ。

この作品は、荘重で美しい主題の後に沢山の変奏が続いている。第7変奏曲で一度静かになるが、その後から段々盛り上がりを見せ、絶叫する不協和音、チョーキング、即興的なフレーズを交えながら第12変奏曲のラスギャードでピークを築く。ピークを越えるとそれまで登場した変奏を幾つか再現させて終わるのだが、その終わり方が実にあっけないのだ。「ええ、これで終わりかよー」という感じなのである。

デュモンさんは、第12変奏曲までにすべてのエネルギーを使い切ってしまい、あとは息切れしてしまったようだ。大変もったいない。

でもいい作品なので、私は少し手を加えて演奏することにした。
「フォリアの~」は私が演奏しなかったら世界中どこを見回しても演奏されることはない(と思われる)超マイナーな作品なので、若干の手直しぐらいはデュモンさんも許してくれるだろう。

修正のポイントを簡単に言うと
1.ピークを築く第12変奏曲の後に即興的なフレーズを挿入し、ピークの余韻を長くする。
2.第12変奏曲後に再現される変奏の順序を入れ替える。
3.自作の変奏を加える。

3の自作の変奏だが、アルペジオの静かで美しい変奏が欲しいと思っていろいろ音をこねくり回してみたら、どこかで聴いたような旋律になってしまった。そう、先に書いたデュモンさんの「ラヴェル讃歌」の冒頭のフレーズになってしまったのだ。どちらも同じ調性(h-moll)のゆっくりした曲なのでそれもあり得ることなのだ。100%同じ音符ということではないので、あくまで自作の変奏ということにしておこう。

10/30(土)にソロコンサートを行うけれど、フォリアの曲を2曲演奏する。もちろんデュモンさんの作品も含まれる。デュモンさんの作品を聴いたお客さんはどのような反応を示すだろうか。

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裏妙義山での事故

1998年11月15日(日)、私が7人の山仲間と裏妙義(群馬県)を山行中のことだった。

御岳山(みたけさん)を越えて丁須の頭(ちょうすのかしら)に向かう途中にて、3つ目の鎖場をようやく登り切った時だった。鎖から手を離して体を起こし、細い道を何歩か進むと突然、周囲の景色が目まぐるしく変わり、「何だ何だ」と思ううちに体が激しく揺さぶられ、叩きつけられた。気が付くと右手が細い木をつかんでどうにか停止。周囲の様子を見渡せば、下方にまだ何10メートルも続く斜面(傾斜は45度くらいか)、足元に左手から滑り落ちた腕時計、頭の上では枝を握りしめた右手が目に入り、自分が滑落したのだと悟った。

しばらくして落ち着きを取り戻した時、「良かった、怪我は無かった」と思った。しかし、力の全く入らない左手に違和感を感じたので、シャツの袖を恐る恐る引っ張ると、袖の中から膨らんで醜い左手首が出てきた。その形には見覚えがあった。子供の頃、思い切り転んで手首を脱臼した経験があったからだ。「脱臼かな。少しねじれば直るかもしれない」と手首に触れてみると、「ううっ」というひどい痛み。なすすべもなく袖で左手首を隠した。

斜面にへばりつくしかできない私の救出作戦が、速やかに開始された。まず山仲間のS氏がザイルで自らの体を固定した。そして斜面をはいながら私に近づいてきて、私の体を背後から支えてくれた。更なる私の滑落を防ぐためだ。その後、別のS氏が私に近づき、私のザックを引き上げた。次に私の腰にザイルが固定され、私が這い上がる番だ。自力では一歩も動けない私は、腰のザイルに誘導されながら、右手と二本の足で左斜め前方へと移動を開始。そろりそろりと手足を動かすこと数分の後、何とか山道にまでたどり着いた。顔を上げると目の前には、ブラリと太い一本の鎖。今しがた登ったばかりの鎖場の登り口に戻ってきたのだった。
「ここまで来ればまずは安心」と一息つく。

自分の落ちた現場を振り返ると、恐怖と驚きを禁じ得なかった。私は大きな岩の塊の脇を枝にぶつかりながら、垂直に5、6m落下し、その後は山の斜面を7、8m滑っていったのである。「よく手の怪我だけで済んだものだ」。心底そう思った。落ちる時の体勢が悪ければ頭や足の骨も折っていただろうし、打ち所が悪ければ、この世にもいられなかったはずだ。岩の木々と背中のザックが落下のショックを和らげてくれたのだ。
一息ついたのも束の間のこと。今度は移動しなければならない。しかしどうやって移動するのか。ここに来るまで幾つもの鎖場を越えてきたのだ。一難去ってまた一難とはこのことだろう。

幸いにもD氏が無線機を所持していたので、それでH氏が非常コールを発信。しかしなかなか受信者が現れない。スピーカーから聞えてくるものは、無線でお喋りを楽しんでいる交信者の声ばかりで、その呑気な様子が余計にイライラを募らせる。「今は非常事態なんだ!!!!」
しかし、10分くらい経過してようやく受信者が現れ、地元の松井田警察署と連絡が取れた。警察に事故の状況を説明し、ヘリコプターの出動を要請した。足には怪我が無く、歩くのには問題無かったが、ここが登山口から数時間の距離にあること、そして何よりも傷を負った体で多くの鎖場を越えるのが困難と判断したためだ。
ヘリコプターの救援を確認すると、ヘリコプターの接近しやすい、見晴らしが良い場所への移動するため、仲間と共にその場を離れることにした。目的地は先ほど通過した御岳山。ゆっくりと足を運んでいる私を仲間たちは注意深く見守ってくれた。途中の鎖場では私の体にザイルを結び、両足は岩に垂直に立て、右手一本で鎖をつかみながら降りていった。私の滑落を食い止めてくれた右手は傷を負い出血していたが、使わずにはいられない。滲み出る血をこらえながら、鎖を力一杯握りしめた。血で汚れた鎖は他の登山者を驚かせてしまっただろう。

御岳山に到着後15分ぐらいすると、天を破るかのような爆音をとどろかせながら、黄色いヘリコプターが空中に出現。斜面で体を支えてくれたS氏が黄色いタオルを一生懸命ヘリに向けて振っている。ヘリのスピーカーから「強い風が吹くので伏せるように」の指示が出て、接近してくる。猛烈な風に立つことはおろか目も開けられない。そして風による冷たさが、じわりじわりと強くなってゆく左手の痛みを一層辛いものにした。風がおさまり、顔を上げると目の前にはオレンジ色のユニフォームで全身をおおった救助隊員が救命具を持って立っていた。さっそく救命具を体に取りつけようとしたのだが、その試みは失敗だった。救命具はリング状のもので、リングを体に通し腋の下で固定するものだったからだ。力の入らない左手では、リングが抜けないようふんばるのは難しい。そこで別の救命具を降ろすため、再びヘリコプターが接近。突風がまたも私たちの体を容赦無く叩きつける。
今度降ろされた救命具は、腰掛けのような形状で、体全体を支えるものだった。体に救命具をくくりつけ、ヘリコプターから降ろされたワイヤーに固定。隊員もワイヤーにつかまり、合図と共に上昇を開始。叩きつけるような風と、空中を浮遊する恐さから「早く、早く引き上げてくれ!!」と心の中で叫ぶ。
ヘリの中は意外にも広い空間だった。顔を右に向けると2人のパイロットがぎっしりと計器類の詰まった操縦席に張りついていた。総勢6、7名の人間を乗せたヘリコプターは、地元の人達の視線を集めながら山の麓の広場に着陸。学校のような建物、そして広々とした田んぼが見える。私の体が”黄色い機械”から吐き出されると、地上で待機していた”白い機械”に吸い込まれる。それは走り出すなり、けたたましくサイレンを鳴らし始めた。

救急車の移動と同時に、救急隊員が私の怪我の状態を確認した。確認作業を終えると携帯電話で受入先の病院を探し始めた。最初の病院は駄目。そして次の病院も駄目。そんな状況を目の当たりにすると「たらい回しにされた患者が、病院に着く前に絶命」という事故が思い出され、憂鬱になってくる。3番目の病院でやっとOKが出たようだ。それにしても走行中は車の振動が左手に響いて痛い。揺れる度に「いてて、いてて」と騒ぐ。それを聞いて救急隊員は、「もう少し静かに走ってくれんか」と運転手に声をかける。しかし効果は無かった。
突然、「こら!!  そこのワゴン車!!!」と運転手がスピーカー越しに怒鳴りつける。どうもワゴン車が救急車に道を譲らなかったようだ。そうこうする中、運転手のイライラと手首のズキズキを載せた救急車がようやく病院に到着した。

近代的な病院に到着すると車椅子に移し変えられ、早速レントゲン撮影。醜い姿を曝した左手を直視するのは辛い。ただでさえ痛いのに、手をひねって角度を変えての撮影はもっと痛い。「この手直りますか?」と撮影している白衣のお兄さんに聞いたが「ええ、まあ」と曖昧な返事しか返ってこず、少し不安になる。もっともそのお兄さんは撮影技師なので、はっきりと答えられなかったに違いない。

「これは手術が必要ですね」と当直の医師は私に会うなりきっぱりと言い放った。レントゲン写真を見ると、手首に近い位置で骨が2本ともブッツリと切断されている。手首の膨らみは折れた先の部分が筋肉に引っ張られていて骨が重なっていた為だ。この写真を見た瞬間、「脱臼ならいいのだが」という微かな期待は、遙かかなたに飛んでいった。
若い医師は「悪いんだけど痛いよ」と言うなり、折れた左手を台の上に載せ、手のひらを引っ張った。「ウッ!!」と鈍い声が体から絞り出る。しかし今一つうまくいかなかったようで、もう一度引っ張った。「ウアッ!!」。この時の痛みを何と表現したらよいか。我が40年の人生の中でベスト3に挙げられる痛みとしか言えない。何とかまともな形に戻った手の下に白いプラスティックシートを敷き、包帯をぐるぐる巻く。
「もう一度撮影します。それを見て駄目なら、又引っ張りますよ」と医師に言われ、「えっ、まだやるの」と慌てた表情を見せると、「冗談ですよ」と笑い返された。この若先生は私をからかっているのか。
2度目のレントゲン撮影のため、今いる3階から再び地下1階の撮影室まで移動だ。どうも車椅子での移動は、まどろこしい。足は全く怪我していないのに何故車椅子を使うのだろうか。
以前何かの本で、”日本で遭難し救出されると、必要が無くても酸素マスクをつけられたり、車椅子に座らされたりで、如何にも重病人のように扱われることが多い”と書かれていたのを読んだ記憶がある。「僕、歩けますよ」と言いたい衝動に駆られたが、一生懸命車椅子を押してくれる看護婦さんの好意を無駄にするような感じがしたので、そのまま車椅子に身を任せた。しかし待合室を通過するときは外来の人たちの視線を浴びて、余り気持ちよいものではない。
撮影後、再び3階に戻り写真を見る。最初の写真とは違って、形のきれいな手首が写っていた。それを見た医師は、「う~ん。きれいに戻っている。オレ、整形の方にまわろうかな」と自画自賛。「このまま家まで帰って、明日にでも地元の病院で診てもらってください」との一言ですべての診察が終った。
「そうか、帰れるのか」。とりあえず地元で治療を受けられるのは有り難いことだ。

診察の後、看護婦さんに右手の治療をお願いした。滑落の際、枝をつかんで傷だらけになったからだ。折れて歪んだ左手首を元に戻す時の痛みがスーパーヘビー級なら、消毒液が傷口を刺激する痛みもなかなか侮り難く、こちらはミドル級だ。これも人生の痛みランキングのベスト10に仲間入りなのだ。
「あら、爪が長いのね」と、看護婦さんは右手の長い爪に気づいた。「ギターを弾くんですよ」と言うと、「あらギターって爪を使うの」と不思議そうな顔つきだ。手をよく見れば、薬指の爪は吹っ飛んでいたし、他の爪もボロボロだった。「どうせ当分の間はギターを触ることもないのだ」と思い、切ってもらうことにした。
チョキン、チョキン、チョキン、チョキン。看護婦さんの持つ爪切りが指先を走る。
爪を使って弦をはじくクラシックギタリストに”廃業”というものが有るのなら、引退のセレモニーで行われるのは、右指の爪落としだろうか。兄弟弟子により小指(or薬指)から爪切りが入れられ、最後に師匠によって親指の爪がバッサリと切り落とされる瞬間には、それまでの演奏活動が走馬灯のように駆け巡り、涙がこぼれ落ちるのだろう。
爪をさっぱりと切り落とした手のひらを広げ、表、裏と交互に見入る。ギターを始めて20年以上が経ち、一度も爪を切ったことがないので、実に不思議な感覚だ。むろん爪の無い右手はこれを最後にしたいものだ。

痛み止めとして飲み薬と座薬が処方された。斜面でザイルを繋いでくれたS氏は、薬の内容を薬剤師の人にいろいろ聞いていた。すると薬剤師は「プロの方ですね」と処方箋をS氏に見せてくれたのだとか。実はS氏は岩登りの得意な薬剤師で、現在神奈川の病院に勤務している。
S氏が私に曰く、「怪我をした人は、痛み止めをぎりぎりまで我慢しちゃんだが、そんなことは必要ないんだ。痛み止めの副作用は少ないから、痛みの軽いうちに速やかに飲んで楽になった方がいいんだ」とのアドバイスをくれた。
こういうときプロが身近にいるというのは本当に心強い。

病院に付き添ってくれた仲間たちと共に、最寄の安中駅までタクシーを走らせる。そこでは残りの仲間たちが待っていた。事故発生から約6時間ぶりの全員集合だ。「お騒がせしました」と皆に挨拶すると、
「こんなにすぐ、笑顔で会えるなんて思ってもなかった」とAさん。
「いや~良かった良かった。本当に良かった」と喜んでくれた長老のE氏。そしてYさんも心からほっとした様子を見せてくれた。仲間たちには随分心配をかけてしまったのだ。
帰りの高崎線の中では、皆、事故の緊張感から解放され、雑談する余裕ができた。しかしその光景にいつもと違う部分が有るとすれば、誰も缶ビールを持っていなかったことだろう。私の事故でビールを遠慮させてしまったのだ。ちょっと申し訳無い気分だ。

薬剤師のS氏は、病院から拝借したレントゲン写真を電車の明かりに透かしながらしげしげと見ていた。写真に写った折れた手首を見ると、事故の現場に引き戻されるようで、余り気持ちの良いものではない。それにしても電車の中で何人もの大人たちがレントゲン写真に見入っている光景はちょっと異様だ。
その後は、Aさんのカメラで交互に記念撮影。私も三角巾をぶら下げている姿をしっかり撮ってもらった。

翌日、母親が日ごろお世話になっている医師が勤務している病院に行った。久しぶりに会ったO先生は開口一番、「当病院の整形外科の名誉にかけて、元に戻してあげます」と言う。何とも有り難いお言葉である。O先生は私がギターを演奏することを知っていて、私のコンサートに足を運んでくれたこともある。そんな事情で私に力強い言葉をかけてくれたのだろう。一緒に病院へ付き添った母もその言葉を喜んでくれた。医療に携わる人々は、当然、医学に関する知識・能力が必要になるのだが、それだけではなく患者への思いやりの言葉を忘れないで頂けると大変有り難い。言葉ひとつで患者は憂いもし、喜んだりもするのだ。実際明るい気持ちになれば、免疫力も高めると言うではないか。
2人の整形外科医がレントゲン写真をじっくり眺め、慎重な協議の結果、一つの決断が下された。「手術の必要は有りません。骨は良い位置に戻っています。最初に診た医師の処置が良かったのでしょう。このまま様子を見ることにします」。
良かった良かった。手術を覚悟していただけに、”手術不要”の診断は大きな驚きであり、喜びだった。母と私はホッとして家路につくことができた。

事故全体を振り返ると、事故が起きてからの経過はすべてが順調だった。いや、順調過ぎてむしろ恐いくらいだ。「残りの人生の運を使い過ぎていやしないか」と心配もしたくなるが、とりあえずは自分の幸運を素直に感謝することにしよう。勿論、私の事故をめぐっては多くの人のご協力を得たことを忘れる訳にはいかない。実際、私一人の事故によって山岳会の仲間たち、警察署、消防署、病院の人たちを何十人も動かすことになったのだから。そして自分の手が直った後は、今度は私がお返しをする番だ。もし身の回りで事故が発生したとき、私に何ができるのか、何をすべきなのかをじっくりと考えてみたいと思う。

以上

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自転車整理も楽しい仕事

子供の通う小学校で運動会が有った。PTAがお父さんのお手伝いを募集していたので、志願することにした。お手伝いの中身は自転車整理だ。運動会は雨により順延に順延が重なり、平日の火曜日に催された。

受付で名前を書くと腕章をもらって早速仕事開始!!
平日の開催だったにもかかわらず、自転車はどんどん学校の中に吸い込まれ、予定していたスペースはあっと言う間に埋まっていった。
9割ほど埋まったあたりで、入ってくる自転車の流れが少し止まった。止まったと言っても仕事は止まらない。この間を利用して、自転車の整理・整頓をして、まとまったスペースを確保しないといけない。

狭いスペースに自転車の前輪だけつっこんでほったらかすやつは困り者だ。そんな自転車は別の空きスペースに移動したいところだが、そうもいかない。取りに帰る人が路頭に迷わないよう、元の位置から動かさない方がいいからだ。文句を言いながらも、前輪だけつっこんだ自転車の左右10台ぐらいを少しずつ移動させてスペースを作り、どっこいしょと言いながら自転車を奥まで入れてやる。

バイクやオートバイも駐輪場に入ってくるが、自動の二輪車は、できるだけまとめて駐輪してもらうよう利用者を誘導する。

しばらく作業を続けていると要領がつかめてくる。そして利用者にもっと喜んでもらえる工夫はないものかと考える余裕が出てきた。
そこで実行してみたのは次の二つ。

# 取り出しの手伝い
自転車を取りに来た人が、自転車を引っ張り出すのは結構大変なものだ。特に収容スペースに余裕が無い。ギチギチに詰め込まれた駐輪場ではなお更だ。力の無い年配の女性が困っているのを見て、取り出しのを手伝いをすることにした。遠い場所でも走って手伝いに行った。これは大変喜ばれた。

# 空きスペースの案内
止めに来た人がウロウロ空き場所を探さないで済むように、空いた場所の位置を覚えておき、「あそこが空いています」と案内した。これも良かったと思う。

実行はしなかったが声をかけるのも良いかもしれない。「さあ、お楽しみください!!」、「今だいぶ盛り上がってますよ!!」、「これから一年生の40m走が始まりますよ!!」と言って会場へ送り出すのだ。

私は最寄り駅まで自転車を利用している。有料、無料の2種類の駐輪場が用意されているが両者の差は大きい。有料の方は駅から近く、雨をしのぐ屋根がついている。整理・集金を行うスタッフは、青いユニフォームを着用し、「行ってらっしゃい!!」の威勢のいい掛け声で利用者を送り出す。
一方無料の方は、駅から遠く、屋根も無い。自転車を整理するシルバー人材センターのおじいさんも朝の数時間だけの勤務なので、おじいさんがいなくなった後、自転車は時間の経過と共にゴチャゴチャになっていく。

有料(1日100円)と無料の差は明らかに大きいのだが、その一番の差は元気のいいスタッフのきびきびした動きと「行ってらっしゃい!!」の掛け声に有る。

駐輪場を一つのビジネスと捉えた場合、更にどんなサービスが可能だろうか。
ちょっと想像をめぐらしてこんな事を考えた。

# 空気が抜けかかっている自転車には空気を入れておく
# 錆びている部分が有ったら磨いて油をさす
# タイヤが磨り減っていたら交換する
# 自転車の鍵を無くしたらその場で新しいのと交換する
あとの2つは自転車屋さんとタイアップが必要だろう。そういうスペシャルなサービスは年間契約にして10万円ぐらいとらないと無理か。それだけ高いお金を払う人には、特別な休憩所を用意し、コーヒーなどドリンクが飲み放題、雨の日に傘の無料提供などのサービスをしても良いだろう。

自転車の総数は一番多いときで500台弱に達した。それを3、4人のパパたちが整理したのだ。私は午後の仕事が有ったので半日だけで終わったが、多くの利用者から感謝の言葉も頂き、楽しく仕事をすることが出来た。

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NHKの「ギター教室」

私がクラシック音楽を演奏するギター(いわゆるクラシックギター)の存在を知ったのはNHK教育テレビで放送していた「ギター教室」を見てからだ。当時NHKはギターだけでなく、ピアノ、ヴァイオリン、フルートの教室も放送していた。私はフルートに憧れていたので、フルート教室の方を熱心に見ていた。フルート教室の講師は吉田雅夫さん、大御所です。

「ギター教室」を初めて見たときの先生は寿楽光雄という方だった。先生の演奏は記憶に無いのだが、生徒さんが演奏していたタレガのラグリマや、ジュリアーニのアレグロヴィヴァーチェはとても美しく、うっとりしながら聴いていた。

「ギター教室」は半年、もしくは一年で講師が入れ替わった。当時若手三羽ガラスと言われた荘村清志、渡邊範彦、芳志戸幹雄氏らが講師になったこともある。今から考えたら本当に凄い時代だった。現在に置き換えれば大萩康司、村治佳織、木村大さんあたりが講師を勤めるのと同じではないか。もし村治さんが講師になったら、にわかギター学習者が増えて、どこの書店でもテキスト完売が続出!! 、、、、あり得ない話ではない。

さて昔に戻るが、小遣いを貯めてモーリスの7200円のギターを入手し「ギター教室」で勉強することにした。フルートにも憧れたが、フルートは高かったので断念しギターに変えたのだ。その時の「ギター教室」の講師は高峰巌さんといい、髭をたくわえた優しいおじさんだった。テキストの中にマスネ「エレジー」の編曲譜が有った。テキストは紛失してしまったが「エレジー」は今でも指が覚えている。

ある時、そのエレジーを原曲の歌で聴く企画が有った。スピーカーからエレジーが流れ始めると、高峰さんは曲に聴き入った。テレビに収録されていることを忘れるくらい聴き惚れてしまった高峰さんは、曲が終わってもしばらく動かなかった。
しばしの沈黙の後、「すっかり聴き入ってしまいました」と眼鏡の奥の優しい目が動き出した。高峰さんは優しい先生だった。

私のギター人生はこのおじさんと共にはじまったのだ。

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本を読む女

仕事場への道すがら、歩きながら本を読んでいる女性を見かける。私は日比谷公園を通るのだが、その女性も私と同じコースを歩いている。日比谷公園を出て、交番の前の横断歩道を渡り、同じビルの中に入るまで、常に本を読みながらて歩いているのだ。
横断歩道を渡るときも、人や車に視線を動かすことなく、活字を追い続けている。
この女性は、通用口でIDカードを提示し、エレベーターに乗り、そしてロッカーに到着するまで本から目が離れないに違いない。

好奇心に駆られた私はある日、横からその女性の顔を覗いてみたこともあるが、視線は文字通り、本に釘付けになっていた。

雨の日にこの女性を見かけたが、右手に傘、左手に本を持っているのを発見したときは、「この人は本当に本が好きなんだな」と大いに感心して(半ば呆れて)しまったのだ。

昔、伊丹十三さんが書いた「女たちよ」というエッセイにて、伊丹さんは若かりしころ、自転車に乗りながら本を読んだというのを見て、驚いたことがある。伊丹さんは相当バランス感覚が発達していたのだろう。

私は、残念ながら本の虫ではない。読書は好きなのだが、スピードが出ないので、流れに乗れないまま、中途半端に終わったり、途中で挫折したりすることも少なくない。
だからここまで読書が好きな人たちを少し羨ましく思ったりするのである。

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恐るべきクリーニングの親父

前の日曜のことだった。クリーニングに出しておいた衣類2点を回収しに行ったとき、驚くべきことが起きたのだ。

「たかがクリーニングの回収で大袈裟な!!」と思う人がいるかもしれないが、驚いてしまったのだから仕方がない。

引換券を見つけるのに少し手間取った。ポケットを探し、財布の中を探しても見つからない。ごそごそ店の外でしばらく立って探した。ようやく見つかって店の中に入ると、クリーニング屋の親父は、受付で忙しそうに手を動かしていた。

親父の手元を見ると「見たことがある服だなあ」と思った瞬間、「あれ!、これ俺がクリーニングに出したやつじゃないの!」。薄い青のスラックス、コンサートで着る赤いシャツを、親父はまとめて袋に入れようとしているのだ。僕がまだ引換券を出す前なのに。

この親父、俺の風貌を覚えていたのだ。しょぼくれた中年男の風貌を。親父は外に立っていた俺を見て、客の名前を想い出し、俺の衣類2点を何百もあるクリーニング済みの衣類から瞬時に探し出したということなのだ。”引換券を探すのに手間取った”というものの、たかが10秒か20秒、その間にこの親父はこの離れ業をやってのけたのだ。

他のクリーニング店だとこんなことにはならない。要領を得ないおばちゃんがいる場合はなおさらだ。おばちゃんは引換券を受け取ると、老眼鏡越しにじっと見て

「シャツが2点、スラックス1点、それにええと、コートとセーターですね。少しお待ち下さい」とのんびり捜し物を始める。

店の中をあっちこっちと見て回り「これかな、アラ違うワ」、「これでしょう、ヤッパリ違うワ」となかなか見つけられない。ようやく見つけるとおばちゃんの顔はパッと明るくなり、「これでしょう。有ったワ!!、有ったワ!!」と持ってくる。こんなおばちゃんとスーパー親父の記憶力とスピードと比較すると、大人と幼児ぐらいの差がある。いやエベレストと高尾山ぐらいの差だろいうか。

この親父、そう言えば、以前にもこんなことがあった。

洗うものを渡すと、親父は衣類の種類と料金を引換券に書きとめて合計金額を計算した。名前を記入する欄にペン先が移動したとき「イソノさんですね」と勝手に俺の名前を書いたのだ。その時もビックリしたが、今回は更にパワーアップした感じだ。

一応断っておくが、俺はこの店の常連ではない。この店の利用は5,6回めぐらいだし、店の受付は親父でなくおばちゃんの時もある。

成績のいい営業マンは、人の名前と顔をよく記憶している。それが営業成績に直結しているからだ。

かの田中角栄も、初対面の人の顔と名前をよく覚えていたそうだ。その人が角栄と再び会ったとき、「やあ、XXさん、お元気ですか。そう言えば奥さんは踊りの先生でしたね。奥さんもお元気ですか」と言われた方は大感激して角栄の熱心な支持者になってしまうのだとか。そりゃそうだろう。一国の総理に名前を覚えてもらうなんてかなりゾクゾクする出来事だしね。

次にクリーニングに出すものがあるとき、間違いなくこの親父の店に行くと思う。

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選曲、曲順を考える-バリオス

アウグスティン・バリオス(1885~1944)は、ギター音楽の世界では人気の高い作曲家である。生まれがパラグアイという南アメリカの国だということ、インディオの格好をしたバリオスの写真が残されていることから、民族色の強そうなイメージだが、民族色の強い作品ばかりではない。バリオスが活躍したのは20 世紀前半、時代だけでみれば近現代の作曲家になるが、作風とすれば伝統的、そして豊かなメロディーラインを持つ作品が多く、ロマン派の作曲家と言うのが自然だ。

私の場合、バリオスを余り弾かない。と言うのも、まず技術的に難しい。「郷愁のショーロ」には、1の指(人差し指)と2の指(中指)の股裂き的開脚(人差し指が1フレット、中指が5フレット)を強いられる部分がある。どの作品も左手の難所が多い。バリオスさんの手は大きかったんだろうね。また音楽的にも難しい。メロディー、和声、リズムどれをとっても非常に明解なために(明解すぎるために)、ちょっとの傷が音楽を壊しかねない。演奏に集中力が要求されるのだ。多くの演奏家は「モーツァルトは難しい」って言うでしょう。あれと同じだ。

しかし時間、エネルギーに余裕が有れば、私は、バリオス作品をもっと弾きたいと思っているのだ。

バリオスはソナタや、組曲など複数の曲でワンセットとなる作品を殆ど残していない(大聖堂は例外)。従ってバリオス作品を演奏するときは選曲、曲順を考える機会が増える。

バリオスに限らないが、一人の作曲家の作品を何曲かまとめて演奏する場合、選曲、曲順にはかなり気を使う。演奏する順番によって、個々の作品の印象はかなり違ったものになるからだ。

家具の置き場所により、部屋全体の印象は大きく変わる、それと同じだろうか。
花一本、葉一枚の配置に神経をとがらす生け花の世界も同じかもしれない。

そもそもクラシック音楽には確立された曲の構成・順序というものがある。バロック時代の組曲、古典派時代のソナタなどは、長い時間をかけて形式が整えられたものだ。ポイントは、

# 性格の異なる曲で構成される
# 終曲には、スピーディで活発な曲が置かれることが多い
# ゆっくりした曲が必ず1曲入る
# リズミカルで躍動感のある曲が加わることがある
# 調性に統一感がある

などであろう。

ところでギターには調弦というやっかいな問題がある。また調性によって6番の弦、5番の弦の音程を変えることは日常茶飯事だ。調弦による曲間の間延びは仕方ないとして、連続した曲を弾くとき、弦の音程変更はできるだけ避けたいものだ。

以上の条件の中、バリオス作品の選曲・曲順を次のように考えてみた。

パターン1.調弦を変えない曲の組み合わせ
a.前奏曲ハ短調
b.人形の夢
c.最後のトレモロ
d.マヒーヘ
これらの曲には調性上の関連は無い。曲の流れを意識したものだ。

パターン2.全曲をニ短調、ニ長調の曲で統一。6弦がレで統一される。
a.ワルツ第3番
b.つむぎ歌
c.フリア・フロリダ
d.パラグアイ舞曲第1番

パターン3.全曲をト短調、ト長調の曲で統一。6弦はレ、5弦はソになる。
a.ロンドンの想い出
b.ロマンス第1番
c.郷愁のショーロ
d.森に夢見る

ロマンス第1番は実に良い曲だと思うのだけれど、何故か演奏されないですね。リピート部分はくどいから無い方がいいだろう。

パターン4.パターン3.と同じ
a.郷愁のショーロ
b.ロマンス第1番
c.森に夢見る

いろいろな作曲家で、曲の組み合わせを考えてみたい。

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ギターで弾きたい名曲たち1

ギターはメロディと伴奏を同時に出せる数少ない独奏楽器の一つ。しかし同じ独奏楽器であるピアノほど大きな音は出ないし、たくさんの音符を自由に操れる訳でもない。
オーケストラの曲を、ピアノに編曲して弾くことはよくあることだ。リストはベートーヴェンの交響曲を全曲ピアノに編曲している。またピアノ協奏曲の場合、レッスンでは、先生がオーケストラパート、生徒がピアノ独奏部分を弾いて練習する。
ピアノとオーケストラは仲の良いお友達なのだ。

しかしギターとピアノ(orオーケストラ)との距離は非常に大きい。

その厳しい現実があるにもかかわらず、ギタリスト達はどんな曲でも弾きたいという強い願望が有るので、とりあえずピアノやオーケストラの曲をギターに編曲してみる。そんな作業をギタリストは何百年も続けているのである。私もギターに編曲できる作品が無いかいつも探している。

世の中には演奏不可能と思える編曲も多い。店先で「おお、この作品が編曲されている」と喜んで買った楽譜が最終小節まで演奏されず、一度開いたきりで書棚の片隅に追いやられるもしばしば。その一方、意外と善戦している編曲も幾つかある。

ところで、今まで編曲されなかった(あるいは私がたまたま編曲譜の存在を知らなかった)が、自分のレパートリーに加えたい名作をあげてみたい。

1.モーツァルトのヴァイオリンソナタ(e-moll)/ピアノ伴奏部を編曲
「ミソシーミーソー、ファミミレミファシー」と始まるこの曲。モーツァルトの透き通った悲しみが溢れている。ピアニスティックな部分も比較的少なく、編曲可能だと思う。編曲可能でもやはりモーツァルトは難敵。音楽的な演奏には充分な練習が必要だろう。

2.フォーレの歌曲/ピアノ伴奏部を編曲
「リディア」とか「マンドリン」とか「月の光」とかなら弾けるでしょう。

3.ラヴェル/クープランの墓(プレリュード、フォルラーヌ、メヌエット、リゴードン)/ギター二重奏

ギタリストの斉藤明子さんが学生だったころ、編曲の課題としてプレリュードをギター二重奏に編曲し、師匠の福田さんと演奏しているのを聴いたことがある。音楽的に全く違和感がなく、素晴らしかった。プレリュードが編曲できるなら、他の曲も充分可能なはず。

4.ラヴェル/古風なメヌエット/ギター二重奏に編曲
これはギター2本なら無理の無い演奏が可能と思うが、何故か編曲譜を見たことがない。でも誰か必ず編曲しているはず。

5.ブラームスの間奏曲(作品117)/ギターソロに編曲
1曲目は問題なくできるだろう。これ以外にもA-durの即興曲も辛うじて編曲可能だ。

6.ベートーヴェンのピアノソナタNo.19、20/ギターソロに編曲
ベートーヴェンのソナタ全体を編曲するとしたらこの2曲しかないだろう。ソナタというよりソナチネと言うべきこの2曲からはベートーヴェンの優しい一面が感じられる。
20番(G-dur)なら無理のない編曲ができると思っていたが、既に楽譜が世に出ていた。これは雑誌の付録として掲載されていたのだ。しかし楽譜を見てびっくり。第2楽章がG-durでなくA-durになっていた。第1楽章は原曲通りにG-durで編曲されていたのに何故?? G-durでの編曲は技術的に難しいとは思えない。

ソナタや組曲では、各楽章の調性的な結びつきは非常に強いので、移調するにしても全曲同時に上げたり下げたりしなくてはならない。例えばバッハの無伴奏チェロを編曲するとき、曲によって調性を変えることはまずあり得ないし、今までそんな編曲や演奏は、見たことも聴いたこともない。この編曲者の音楽家としての見識が疑われる。

7.ベートーヴェンのバガテル/ギターソロに編曲
個人的にグールドの演奏で親しんだバガテル達。ギターでも弾けそうな曲が幾つかある。

ところでギターの為の編曲というと誰もが思い出すのは、山下和仁さんの「展覧会の絵」。これが世に出たときは、誰もが卒倒するほどビックリしたものだ。\(゚o゚)/
左指が拡張で壊れそうな「プロムナード」、ハイポジでオクターブのまま5度跳躍する「リモージュの市場」、小指でトレモロしながら親指が和音を引き下ろす「死者とともに死者の言葉」。普通の人間が弾く音符とは思えない。。。。。。。(しばし絶句)
ちなみにギターに編曲するにあたり、全曲を半音ずつ下げて、各曲の関連性は維持されている。

まだまだ編曲したい作品があるけど、今日はここまで。